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小山の伝説&昔の写真

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山百景

中地区

 

中小学校の大エノキ

学校の歴史を見下ろしてきた「愛のエノキ」
中小学校は東経139度44分30秒・北緯36度18分55秒に位置する。明治6年(1873)の創立で、初めは協同館と称した。同35年(1902)9月28日、暴風雨で校舎が倒壊、寺院や民家を借りて授業を続けた。同42年9月、新校舎落成。
エノキは職員室のすぐ前にデンと構える。幹は4本あろうか、根のまわりをヒバの植え込みと鎖で丸く囲み、ロ−タリ−代わりになっている。根回り10m・高さ15m・目通り2m、樹齢は120年余り。
文字通り学校の歴史ととまに生き、「愛のエノキ」と呼ばれて、多くの卒業生に親しまれてきた。そばに、いまでは珍しくなった二宮金次郎の小さな像が建っている。






 

東箭神社と大ケヤキ

宿駅として賑わった「梅の宮宿」
南小林は日光近裏道の日光道中野木宿と例弊使街道栃木宿の中間にあたり「梅の宮宿」と呼ばれ賑わった。脇道の発展に従い宿駅としての役割を果たすようになり、日光への近道や大平山への参詣道など街道追分けの地だったので。
南小林はもともと榎本領に属し、榎本城の南東部に隣接して展開していた。「梅の宮」は文禄4年(1595)の検地帳に小字名として記載されている。現在の集落を指しているのではなく、北西の方にあった。わざわざ宿場のなとしたのは当時「梅の宮」が南小林の中心地であったからだろう。
旧古河街道沿いの東箭神社。応安元年(1368)、新田義宗・脇屋義治が上野国で義兵を起こしたとき、小山義政は足利氏満に従い出陣の際、祖先の秀郷より伝わる箭を神に奉納して戦功を祈願したので、この名があるという。
境内の大ケヤキ3本は地元のシンボルとして親しまれていたが、その内の1本が平成3年の台風で途中から折れてしまった。
 

カントリーエレベーター

県南穀倉地帯のシンボルタワ−
国道50号線の北側、白い5つの円筒形の建物が目につく。農業構造改善事業により平成2年(1990)8月に完成したカントリ−エレベ−タ−だ。
集められた米は10本のサイロで乾燥され、市場へと出荷される。操作はすべてコンピュ−タ制御。「栃木米コシヒカリ」と大きく書かれてたこのビッグな米の貯蔵塔は、県南穀倉地帯のシンボルだ。











 

歌人田波御白の生家

耽美的作風で注目された薄命の歌人
御白は本名を庄蔵という。明治18年(1885)、南小林の豪農田波家に、5男4女・9人兄弟の第6子(3男)として生まれた。
御白が歌の道に入ったのは次姉ハデの感化による。作品は明治33年(1900)、栃木中学4年のときに『帝国少年議会議事録』という投書雑誌に投稿したのが最初。栃木中学卒業の明治36年頃、号を「水韻」から、思いを寄せる田村マチの住む隣村「水代」に通じる「御白」へ。作風もいっそう耽美的なものとなってくる。
秋ならば花のようなる君が目に涙はちりぬ花のようにも− 
東京帝大在学中も積極的に作歌活動を続けるが、病魔に冒され、大正2年(1913)8月25日夜11時、異郷の地で27歳余りの短い生涯を閉じる。戒名は自らつけた「大空院薄命御白居士」。『御白遺稿』『御白全集』が出版されている。




 

県南公設地方卸売市場

広大な敷地に最新設備豊かな食生活のための流通基地
平成5年(1993)9月、足回りのよい国道50号線沿いにオ−プン。栃木の築地市場をめざす近代的大型市場。小山市外1市6町(栃木市・壬生町・国分寺町・野木町・大平町・藤岡町・岩舟町)の運営で、生鮮食料品をはじめ流通ステ−ションとして、私たちに安定した供給と豊かな食生活を与えてくれる。
いままでの県南地区の市場は戦後間もない開設で、近年のニ−ズに対応しきれず近代的な市場開設が待ち望まれていた。昭和62年(1987)、県の卸売市場整備計画に基づき、新しい市場建設に向け発進。念願の新市場は、建築費72億・用地費13億、合計85億円の予算で北関東最大規模を誇る11万2千u(約3万4千坪)の広大な敷地に最新の設備とシステムを備え、青果・水産・関連商品を取り扱う中央棟と花卉棟からなる。
21世紀を目の前に控え、人が、社会が物質的な豊かさより潤いや優しさを求めはじめた。いま「生花」が静かなブ−ム。花市場があるのも特徴だ。
 

大川島神社


五穀豊穣を願う春の弓引き祭り的に命中すれば豊作
天慶3年(940)、藤原秀郷が平将門討伐の際、戦勝を祈願して創建。この地一帯の惣社と伝えられる。主祭神は大己貴命。江戸時代は別当寺が置かれ「惣大権現」とよばれていたが、明治になって分離し、「大川島神社」と改められた。
本殿は小規模な一間社流れ造り、外観は豊富な装飾彫刻で彩られている。精緻な透かし彫りが見事で神社建築史のうえからも貴重。平成2年(1990)4月26日、市の文化財に指定されている。
春のお祭りには五穀豊穣を願う「弓引き祭り」が行われる。神主が3本の矢を放ち、的に命中すればその年は豊作だ。氏子とちも次々と矢を引き、境内はその度に一喜一憂する。





 

三福酒造

3つの幸福をもたらす手づくりの酒
造り酒屋では、新酒ができると、それを知らせる「酒林」と呼ばれる杉玉を軒先に掲げる。三福酒造は明治29年(1896)、三宅忠次郎が小薬地区の柏瀬酒造から暖簾わけでこの地に出店。堺屋の屋号で明治・大正・昭和と営業を続ける。
建物は当時のまま、一部機械化されたが、いまなおてづくりの味が守られている。土蔵の壁に神棚が祀られ、火防せの御礼に酒造りに対する当主の熱い思いを感じた。
酒を好む人に「陽気の福」「健康の福」「和親の福」の3つの幸福がもたらされることを願い「三福」の銘柄で親しまれ愛飲される。平成の世、4代目の若主人がその味をしっかりと受け継いでいる。
 

下泉古墳群

田園地帯の古墳はさながら「陸の松島」
下泉古墳群は巴波川と永野川の合流する中里地区から北へ約1.2q、字関根から上泉の字弁天にかけて散在する一群の古墳からなる。付近一帯は思川低地で、とくに古墳群のある辺りは2つの川に挟まれた三角州状の沖積地になっている。
標高は古墳群の付近で22m、水田が主体をなし、これに若干の畑地と狭い平地林が混在する平坦な地形である。
薬一神社古墳をはじめ、7世紀初頭の小墳が20基近くあり、さながら陸の松島のようだったという。いまは5基が残るだけ。直刀・勾玉・耳飾りなどが出土、市立博物館に保管・陳列されている。

 

吉田石松翁の碑

碑文は「人権の神ここに眠る」
罪を犯すことは悪いことだが、冤罪だけはあってはならない。吉田石松は大正2年(1913)、いわれなき無実の罪により投獄される。以来、終始一貫して身の潔白を主張、再審請求することもたびたびであった。
昭和38年(1963)2月28日、ついに雪冤の目的をとげる。その間、実に半世紀、人呼んで「昭和の岩窟王」という。

 

円満寺

「ぼけ封じ観音」が祀られる関東霊場の札所
円満寺は南小林の交差点を佐野方面へ、旧50号線から左へ少し入ったところにある。道路1本隔てて中小学校。真言宗豊山派で山院号は熊野山地蔵院という。
永禄年間(1558〜69)、頼尊僧都が地蔵仏をここに安置し開山、小山高朝が創建して祈願所とする。永禄年間(1558〜69)、頼尊僧都が地蔵仏をここに安置し開山、小山高朝が創建して祈願所とする。永禄8年(1565)5月18日、高朝は同時に寺領を寄進しているから、創建はこれ以前に間違いない。
境内の北と西側に土塁が残り、北側の土塁は5m位と高い。その隅上に市の保存樹木・ケヤキの大木が空高くそびえる。目通り4.3m・枝張り24.7m・高さ26.32m、樹齢は300年とも。
本堂の前には「ぼけ封じ観音」が祀られ、「関東三十三観音霊場第二十二番札所」の案内板が立つ。けっこう遠くから訪ね来るという。住職は母堂は齢八十をこえる。言葉のはしばしに寺を愛する思い入れを、柔和な顔には心の優しさを感じた。
庭の百日紅が白と紅の花をそれぞれ咲かせ、夏の暑さが少し和らいだ。
 

蛍橋

昭和の初め、暗闇にホタルが渦を巻いて柱のように舞った
「蛍橋」は中小学校から南へ100mの上泉と下河原田の境界でもある巴波川に架かっている。この地はかつて本沢河岸と呼ばれ、舟運が盛んだった。
初めて橋が架けられたのは大正11年(1922)のかと。木製で「本沢橋」と呼ばれた。その後、昭和2年(1927)4月にコンクリ−ト橋に架け替えられ、ホタルの名所にちなんで「蛍橋」と名づけられる。現在のものは昭和9年の河川改修で誕生。長さ46m・幅5.5m。
岸辺にヨシやアシが密生、柳やハンの木も茂り、ホタルが住むのには絶好の条件を備えていた。
昭和12年(1937)頃までホタル狩りも盛んで、3軒の料理は屋形船を出したという。「ホタルが密集して飛び交うと、ホタル柱が立った。渦を巻きながら闇に舞う様子はすごかった」と古老は昔の風流を懐かしむ。
子供たちは麦ワラで籠を編み、ホタルを追った。歌の文句にもあるようなホタルの好きな甘い水は、いったいどこへいってしまったのだろう。

 
※おやま百景ガイドブック:平成6年10月24日初版発行・平成16年5月15日改訂版発行 編集 小山市教育委員会 文化振興課

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