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小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせがき塚(中久喜)

 一面の草原である。東の空が真っ赤に染まって、むらさき色の筑波山がくっきりと美しい。朝のツバメがひらりと飛び交い、さわやかな風が吹くと、草がなびいて銀色の露の玉がこぼれる。
 ここは、村のまぐさ場である。さっきから、二人の少年が、せっせと草を刈っていた。二人は黙りこくって、競走のように仕事に精を出した。サッサッと、こころよい音を立てて、長い草がなぎ倒されていく。やがて、刈り草の山がいくつもできた。それを負いかごに押しつめ、そのうえ山盛りにくくりつけた。二人は、ほとんど同時に仕事を終わった。そして、はなればなれに、朝日に向かって腰を下ろした。
 この善平と三太とはおなじ年で隣同士だった。小さいときからだいの仲よしだったが、それが、このように並んでいても口をきかないようになったのは、二人がけんかをしたからではなかった。去年の夏の大日照りのとき、善平の父親と三太の父親とが水争いをして、それからは朝晩のあいさつもしないあいだがらになってしまった。家のものどうしも気まずくなって、善平と三太との仲も変なぐあいになったのだった。
 「おれの鎌はよく切れるな。」
 善平が、朝日をうけて光っている鎌を手にとってながめながら、ひとりごとを言った。三太が聞きつけて、横からどなった。
 「おれのだってよく切れるぞ。」
 善平は三太と争うつもりはなかったが、相手の調子につられて、黙っていられなくなった。
 「おれのは、おとうさんがといでくれたんだ。」
 「おれのだってそうだぞ。」
 「こんなに光ってるよ。」
 「おれのはもっとピカピカだ。どっちがよく切れるか、比べてみよう。」
 三太が立ちあがって、善平のそばへ来た。善平も腰をあげた。二人は、かわるがわる草を刈ってみせた。どちらもよく切れた。小川のほうへ行って、ネコヤナギの根もとを切った。同じくらいに、いくらでも切れた。あたりには、ほかに切れ味をためすようなものはなかった。二人は草かごのところへもどり、向かい合って立った。
 善平は帰ろうとしたが、三太がはなさなかった。「お前の首でも切れる。」と言った。二人は夢中だった。とうとう、おたがいの首すじに鎌の刃をあて、一二三の合図もろとも、力いっぱい鎌を引いた。とたんに、ふたつの首が落ち、二人の体は折り重なって倒れた。
 「善平やーい。」

 「三太やーい。」
 いつもの時刻を過ぎてももどらない二人をたずねて、里の人たちがさがしに来た。草原の中に、変わり果てた二人を見つけて、人々はびっくりした。二人の父親は人々をかき分け、それぞれの息子にとりすがった。善平の父の涙も、三太の父の涙も、いつまでもとまらなかったが、いくら嘆いても、子どもを生き返らせることはできなかった。やがて、善平の父が、三太の父の手をとって言った。
 「おれが悪かった。おれが悪かったよ。」
 「そうだった。おれたちがにらみ合っていたばかりに、取り返しのつかないことになったのだ。」
 三太の父も、声をつまらせた。二人の父親は、「もとのように仲よくしよう。」と誓い合った。
 「申しわけに、おれが三太のお墓をつくろう。」
と、善平の父が言うと、三太の父も、
 「おれは善平のお墓をつくろうよ。」
 里の人々は、二人の父親が仲なおりしたのを喜んだ。そして、あわれな善平と三太とのために、手分けをして手伝うことになった。いく日もかかって、二つの大きな塚が、同じ形に並べて築かれた。
 中久喜の東北にあたる水田のなかに、「がき塚」と呼ばれて、さきごろまで残っていた。がきというのは、俗語で児童のことである。