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小山の伝説

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、栃木県メディアボランティアに帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山の伝説

お知らせ土塔塚(土塔)

 弘法大師は、百々塚権現のあたりに池にすむ白蛇のお告げによって、池のほとりに弁才天をまつった。(「土塔の弁天」参照)
 一説によると、このとき白蛇は、池に塵あくたが投げこまれて水がよごれ、すむに堪えなくなったので、大師に救いを求めたのだった。大師が池に来てみると、おびただしい羽虫の群れが、竜巻のように渦巻き立っていた。村人たちが来て、「このように羽虫がわいて作物を荒らすので困りますからどうぞお助け下さい。」と頼んだ。大師は、「池を汚すから羽虫もわく。まず池をきれいにせよ。」と命じた。百姓たちは、せっせと池をさらった。池水が澄んだとき、大師が錫杖を鳴らしてお祈りすると、一団の羽虫が雲のように飛び去り、かなたの野面に消えた。里人らが行ってみると、そこには、羽虫が山のように死んでいた。
 大師は、「この上に塚を築け。」と言った。羽虫の害をまぬがれた村人たちは、大喜びで、畚をかついで土を運んだ。百度運んだだけだったが、大師の法力の助けで、わずか一日一夜のうちに大きな塚ができあがった。畚百ぱいの塚だから、十十塚と読んだ。それが訛って、土塔塚になったといわれる。